二荒山神社
【ふたらさんじんじゃ】
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国宝・重要文化財建造物
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別宮本宮神社本殿
【べつぐうほんぐうじんじゃほんでん】
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別宮本宮神社唐門
【からもん】
及び透塀【すきべい】
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別宮本宮神社拝殿
【はいでん】
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別宮本宮神社鳥居
【とりい】
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神輿舎【しんよしゃ】
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大国殿【だいこくでん】
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末社朋友神社本殿
【まっしゃみともじんじゃほんでん】
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末社日枝神社本殿
【まっしゃひえじんじゃほんでん】
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神橋【しんきょう】−日光二荒山神社−
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平成17年3月に改装工事を終えた神橋、美しい朱い橋が見られます。
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−山菅の蛇橋【やますげのじゃばし】−
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大願を果たそうとする勝道上人【しょうどうしょうにん】の行手を阻んだのはごうごうたる大谷川【だいやがわ】の急流でした。
神仏の加護を祈る一行の前に青・赤2匹の蛇が現われ橋となり、上人たちはその上に山菅を敷いて渡り、再び山頂をめざすことができたと伝えられています。山菅の蛇橋と呼ばれる由縁です。
アーチ式架橋による朱塗の名橋は大日光を象徴するかのように照り輝いています。
現在、橋は修復のため残念ながら実物を見ることはできません。完成予定は、です。 |
エピソード
−橋架け長兵衛−
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山菅橋が出来てから50年目(大同3年、808年)のことです。橘利遠【たちばなとしどう】という人が二荒山を信仰し、山菅橋を立派に架け替えました。この時、山崎太夫長兵衛【やまざきたゆうちょうべい】という大工の棟梁が、川の両岸から桁【けた】(乳の木【ちのき】)を渡し、その上に板を敷いて橋とする方法を考案しました。それから16年目ごとに橋を架け替える慣例となって明治の代に及んだが、この桁(乳の木)を差し込む神事が昔から深厳に行われました。山内の神官と僧侶が、真夜中に灯火を消し、祈祷を行い、山崎長兵衛の子孫が装束姿いかめしく、木槌【きずち】を以って一撃のもとに、桁(乳の木)を所定の穴に打ち込むのです。極めて深秘の行事として、特別に許された人だけが儀式に参列し、一般大衆はただ「深秘の神事」として話を聞くだけだったそうです。
桁(乳の木)打ちの大工棟梁は代々長兵衛の子孫のみが当ったので、この家を「橋架け長兵衛」といって今に伝わっています。 |
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