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日光のはじまり−関東の一大霊山「日光山」−
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「日光」の地名の由来
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杉並木
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世界に誇る観光地と言われている日光は、東西30キロメートル足らず、うなぎの寝床のような細長い街です。日光の入口で海抜が約500メートル、市内を通りいろは坂を登り奥日光の湯元で海抜約1,500メートルとなり、約1,000メートルの差があるという実に複雑な地形の街です。
その中に、東照宮【とうしょうぐう】・日光山 輪王寺【にっこうざん りんのうじ】・二荒山神社【ふたらさんじんじゃ】が鎮座し、国宝・重要文化財の人工造形美と大自然が織りなす関東随一の素晴らしいところが現存します。
雨上がりの石畳の美しさ、霧の中に浮かぶ社殿・堂塔、新緑・紅葉の山々、ここ日光は特に朝夕の自然が美しく、朝陽は日光という名前の通り素晴らしいものです。
この日光という地名の由来についてはいろいろな説があります。観音菩薩の浄土【かんのんぼさつのじょうど】を補陀洛山【ふだらくさん】といいますが、その補陀洛山からフタラ山(二荒山)の名がついたという説、日光の山には熊笹【クマザサ】が多いので、アイヌ語のフトラ=熊笹がフタラになりフタラが二荒になったという説、男体山【なんたいさん】、女峰山【にょほうさん】に男女の二神が現れたのでフタアラワレの山になったとか、いろは坂の入口付近に屏風岩【びょうぶいわ】があります。そこに大きな洞穴があり、「風穴」とか「雷神窟【らいじんくつ】」などと呼ばれており、この穴に風の神と雷獣【らいじゅう】が住んでいて、カミナリをおこし豪雨を降らせ、春と秋に暴風が吹いて土地を荒したので二荒山という名ができたとか、二荒が日光になったのは、弘法大師空海が二荒山(男体山)に登られたとき、二荒の文字が感心しないといって、フタラをニコウと音読し、良い字をあてて日光にしたと伝えられております。
日光といえば東照宮が有名ですが、日光の歴史は1,200年以上まえの奈良時代にさかのぼり、766年(天平神護2年)に勝道上人【しょうどうしょうにん】によって、四本竜寺【しほんりゅうじ】を建てられたのが「日光」の始まりです。
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エピソード 男体山・女峰山・太郎山
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小田代ガ原から見た日光連山
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日本では、高い山は古来から神として崇められてきました。鎌倉・室町時代には、日光山も主峰は三つの山として信仰されていたようです。
ですから、男体山は御神体であり、大己貴命【おおなむちのみこと】であり、千手観音【せんじゅかんのん】であり、男体権現【なんたいごんげん】でもあります。女峰山も御神体で、田心姫命【たごりひめのみこと】であり、阿弥陀如来【あみだにょらい】であり、女体権現【にょたいごんげん】でもあります。太郎山も御神体であり、味耜高彦根命【あじすきたかひこねのみこと】であり、馬頭観音【ばとうかんのん】であり、太郎権現【たろうごんげん】でもあります。
山と仏と神が一体で、しかも男体山は父、女峰山は母、太郎山は子の家族として崇められました。
このように、勝道上人が開かれた神仏習合【しんぶつしゅうごう】の宗教観が関東の一大霊山「日光山」を栄えさせました。
そのほかにも、大真名子山【おおまなごさん】・小真名子山【こまなごさん】は、孫であるとか?だとしたら、太郎山のお嫁さんは・・・?
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